脇差 刃長 一尺五寸九分三厘強 Edge length; 48.3cm 印籠刻黒漆塗鞘脇差拵入
|
海道一の弓取と謳われた徳川家康は(注)、次男結城秀康を介して越前康継を見出す等、刀工の発掘にも熱心であった。大和手掻の流れを汲む南紀重國もその一人で、駿府に鍛冶場を設けて家康の側で打ち、その没後は紀州侯となった十男頼宣に仕え、和歌山城下に移った。大和伝の直刃や相州伝の乱刃出来の遺作は出来優れ、『新刀辨疑』巻六では「地銕(じがね)至て細にむくやかにして潤ひ有。小錵匂(こにえにおい)深く位有亀文(みだれ)刃や縵理(みだれ)ハ海内の達人とも云べき者也」と高く評価されている。 注…海道とは東海道のこと。 |
Ginza
Choshuya All Rights Reserved