刀 鞘書「参議井上馨所持…」 特別保存刀剣 Tokubetsu-hozon |
毛利敬親の側近くに仕えた井上馨は、安政二年に参勤で江戸に下り、蘭学、洋式砲術、英国海軍を研究し、英国船購入を担当したが、その心中は攘夷の炎が盛んで、文久二年十一月には高杉晋作、伊藤俊輔らと品川御殿山の英国公使館焼打に参加している。一方、柔軟な頭脳の持ち主でもあり、佐久間象山の武備拡充論、海軍興隆論、人材海外派遣論に触れると攘夷の実効性に疑問を抱き、密かに進行していた藩の海外留学生派遣計画に桂小五郎の仲介で参加し、文久三年五月十日に横浜から渡英した(注@)。世界最先端の科学技術に触れ、攘夷の限界と武備拡張の必要性を確信。折しも祖国では長州が攘夷を決行。列強の報復戦争準備がロンドン・タイムス紙で報じられると、井上は伊藤と共に急遽帰国し、英語を駆使して戦争回避に努め、戦後の和議成立に全力を注いだ。その行動が攘夷派の藩士たちに裏切りと捉えられ、長州征伐での幕府への対応会議の帰途に刺客に襲われて重傷を負った(注A)。回復後は討幕に貢献、維新後、伊藤博文と新国家建設に邁進している。井上馨の根幹には強い愛国心が備わっていたのである。 注@…伊藤俊輔、山尾庸三、野村弥吉、遠藤謹助を加えた五人。 |
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