平造脇差 銘 若狭守氏房 (業物)
Hirazukuri wakizashi
Wakasa no kami Ujifusa (Wazamono)
美濃国 元亀頃 約四百四十年前
刃長 一尺二分(三一糎) 反り 六厘半
元幅 九分八厘 重ね 二分
彫刻 表裏 棒樋掻流し・添樋
銀着一重ハバキ 白鞘付
黒漆塗刻鞘合口拵入 拵全長 一尺七寸 柄長 三寸九分
昭和二十六年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
若狭守氏房は美濃の名流兼房の子で、天文三年の生まれ。永禄十三年に若狭守を受領、天正五年に織田信長の安土城下に移住、信長の没後は岐阜に戻り、さらに尾張清洲に鍛冶場を移している。戦国動乱の時代を生き、家伝を守った互の目出来の作や、相州振りを加味した覇気ある刀を遺している。
一尺から一尺三寸ほどの平造小脇差は、至近戦や組み合いなどの最中に抜刀刺突するに適した寸法であり、しかも鎬のない構造であることから革の具足などを截断するにも適しており、南北朝時代から室町時代を経て戦国期まで太刀や刀の添え差しとして盛んに用いられている。鉄砲伝来以降は、南北朝時代の薄手の出来から比較的頑丈な造り込みへと進化しており、殊に本作のような操作性に富んだ小振りの作は、武士にとっては欠くことのできない重要な武器であった。地鉄は流れた板目鍛えが良く詰んで淡く映りが起つ。刃文は父祖兼房が得意とし、自らも初期には得意とした大房の互の目乱で、帽子は火炎風に乱れ込んで長く焼き下がり、区上辺りまでの棟焼に連なる。匂口の締まった焼刃は明るく、刃中には匂が立ち込め、鍛え目に沿って金線を伴う沸匂の流れがあり、殊に物打辺りは沸付いて島刃状に刃中に沸が凝るなど激しい景観を呈している。
幅を違えた印籠刻の鞘を黒蝋色塗とし、桐紋三双図目貫、唐草に桐紋図縁頭、栗形、折金、富岳図小柄笄を備えた、瀟洒な拵が附されている。 |