矢上は長崎の地名で、同派の工人には光広がおり三代を数える。その活躍期は二代光広が文政六年(1823)に没した記録があることから、凡そ江戸の中期から後期にかけてと見てよいだろう。先にも挙げた鉄地に群猿を細密な肉彫地透しとした「千疋猿」図が代表的なモチーフとして知られている。素材は鉄地以外にも真鍮を用いた作もあり、同図と同様の手法で、米俵、群猪、群馬、といったバリエーションも見られる。
本作はその矢上一派の代表的図柄である「千疋猿」の鐔であるが、それらの鐔群には稀である立ち耳の猿が描かれ、常に見られる千疋猿図鐔よりも一層異色さにおいて目を惹くものである。
地面いっぱいにひしめく猿たちは動きがあり一匹として同じ姿態をしていない。そしてどこか異形の風体は、猿というよりも何か別の生き物をみるかのようである。その様子はミケランジェロの「最後の審判」や、聖書の挿絵に見られるブリューゲルなどの版画をどこか彷彿とさせる。
当時西洋に開かれた唯一の窓口であった長崎。そこへ来航していたオランダ人たちが携えてきた聖書や版画などを、あるいは目にする機会もあったのかもしれない(注)。見れば見るほど想像が広がっていく、そんな作である。
鉄味も良く猿の体毛に至るまで細かく毛彫され非常に入念作である。猿の目の点象嵌や耳際の布目象嵌も鮮やかに残っており状態は非常に良い。
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(注)肥前国平戸藩主松浦静山(1760〜1841)が収集した聖書『字義的・実践的聖書訳義』(マシュー・ヘンリー著 1741年)が現存している。